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猫伝染性腹膜炎(FIP)
このブログは、FIPに罹患したアビシニアン(3才オス)の、2ヶ月間の闘病記録を中心にした内容です。新たな更新はしていませんが、この、猫にとっての「死に至る病」について、愛猫家の皆さんに知っていただければ、と、公開しています。
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昨日は「猫の日」でした。その翌日の今日、急に職場に近い某所に引っ越すことが決まりました。仕事が次第に忙しくなってきたこの2~3年・・・。思えば、アビ吉が元気な頃から、散発的に、引越し先を探していましたが、中々決まらず3年越しになっていました。 決まる時は、あっけないものですね。来月末の引越しです・・・ゆっくりと、今住んでいる部屋の中を見回します。もう、あと少ししかここで暮らす時間がないんだな、と思いつつ。 アビ吉が生きていた思い出が、幻影が、そこここにあり、寂しさが募ります。アビ吉の魂は私にちゃんとついてきてくれるだろうか・・・。 昨晩、久しぶりにノートパソコンのキャリングケースを納戸から引っ張り出したところ、アビ吉のきれいな茶色の毛がくっついていたのを見つけ、思わず涙しました。キャリングケースを置いていると、いつもその中に、ちんまり納まって、嬉しそうにこちらを見上げるのが、アビ吉の癖でした。 可愛かった、色々な仕草、表情、眼差し、なきごえや、走る足音、匂い、肉球の感触など、を思い返してゆくと、最後に追想は、あの「断末魔の辛い姿」にたどり着きます。こらえきれなくなり、声を上げて泣いてしまいます。 こうやって、私の生活も否応なく変化してゆきますが、アビ吉を失った悲しみだけは変わることはないでしょう。 #
by abi_kichi
| 2005-02-23 23:51
| 追憶
日付が1月19日になりました。5年前の今日、私はアビ吉と出合ったのでした。そして昨年、今年と2回めのアビ吉のいない1月19日を迎えました。 あぁ、5年前の今日に戻れたら・・・。(;_;)今でも決して諦めてはいないのです・・・。 花を飾る習慣のない私でしたが、この約1年4ヶ月は、辛いなりに、花の美しさに心慰められたものでした。そして、アビ吉に花を手向け続けた時間でもあり、これからも続くと思います。 #
by abi_kichi
| 2005-01-19 00:16
| 追憶
写真は1999年7月に我が家にやってきたメス猫のジタンです。2000年1月8日頃、避妊手術をし、抜糸からまだ日の浅い1月19日にアビ吉がやってきました。2月頃からしょっちゅうジタンのおっぱいを吸うようになっていたアビ吉。若い猫どうし仲がよく、いつも一緒でした。アビ吉はジタンが大好きなのが、人間の私にもよく解りましたが、長ずるに従って(翌2001年から)、ジタンは断固としてアビ吉と距離をとるようになり、近づこうとするアビ吉に容赦なく、猫パンチを繰り出したり、咬みを入れていました。体力的にかなり劣るアビ吉は必死で防戦しますが、適いません。それでも懲りずに、ジタンにくっついて座ったり、一緒に寝ようとしていました。 こんな時、アビ吉の気持ちをなだめたり、テリトリーをきちっと守ってやることに、配慮してやらなかったことを後悔しています。何となく、兄弟げんかのようなイメージをもっていたので、そのままやり過ごしていました。トイレ外排泄が頻繁に認められるようになってからも、ストレスということがピンときませんでした。今までそれで問題なかったのですから、「一体何なの?今までみたいに仲良くやってよね」的な感覚に留まっていました。あろうことか、新たに成猫を導入してしまったのでした・・・。 今日のような寒い日には必死に布団の中にもぐり込んでいたアビ吉の様子をまた思い浮かべてしまいます。 #
by abi_kichi
| 2004-12-26 16:27
| 追憶
我が家の最長老猫woo爺です。1985年春生まれですから、年が明ければ四半世紀生きたことになります。日がなウトウトとまどろむ毎日です。今朝、風呂に入れたため、かなり疲れたようで、私の脱ぎ捨てたセーターにくるまって眠っていました。 飼い主の目に、最も衰えが目立つのは後肢です。ずいぶん細く、貧相になりましたので、跳躍力が格段に落ち、ほとんど床の上をウロウロするだけです。 野生動物でしたら、狩りをすることが不可能な、この状態まで生きることはありません。 #
by abi_kichi
| 2004-12-19 19:09
治療学の分野で今、最も研究が進んでいるのは、人間に飼育されていない「野生動物」とのこと。なぜなら、彼らは、病気にかかりにくく、病気になっても、医者や薬もなしで、自ら病気を克服しているからです。 この、もっともらしい文面には、少なくとも2つの虚偽もしくは無知が含まれています。 私の知る獣医さんによると、あまり治療「学」という表現はしないそうですが、強いて言うなら、治療「学」とは、新しい薬品、新しい手術手技、放射線や超音波などを用いた新しい治療方法の開発と確立を意味するのだということでした。ですから、野生動物が対象になることはまずあり得ないということでした。 また、野生動物が病気にかかりにくい、病気になっても自分で治しているなどということは実際に、野外観察をしたことが少しでもある人なら、思いもよらない荒唐無稽な話だということでした。 野生動物は、その厳しい自然環境に生きるが故に、寿命が短く、病気になれば、それこそ何の手立てもないため、速やかに死に至ります。病気になれば、たちまち消え去るので、周囲に老醜や病苦を曝す間もなく、それ故、私達は闘病中の野生動物を目にすることもない、それだけのことです。ましてや、私達は野外観察などしたことはありません。 野生動物ではありませんが、野良猫の寿命は2、3年だとされています。一方、完全室内飼いの猫になると20年以上生きる猫も珍しくなくなってきました。種々のウィルス感染症を予防するワクチン接種の開発・普及といった獣医療の発達とペットフードの発達こそが、この驚異的な寿命の延長を可能にしたわけですが、一方で、そこまで長期間生きるように動物の肉体は作られてはいませんし、そのような事態に適応する間もありませんでした。 「人間の文明社会に取り込まれた」という偶然から、一つ限りの肉体を長期間使い続ける羽目に陥ったので、当然、種々の疾患(人間と同様、成人病をも含む)に悩まされることになったということです。人間も動物も肉体にスペアはありませんから、経年劣化から様々な病気も発生します。 こういった基本的な事実すら抑えておらずに、「効果がある」と連呼することは笑止千万ですし、私がもう一つ気になるのは、これが、唯我独尊的な部分をくすぐるが故に、人の心を捉えてしまうのではないか?ということです。自然治癒力を尊重することは大切ですが、何でも、「自分で頑張れば解決する」といった妙な自己完結感は、苦労しながらも他者の経験や知恵を学ぶことから、その人を遠ざけ、結局、誤った方向に行ってしまうのではないか・・・そうなれば迷惑するのは猫や犬なのです。 #
by abi_kichi
| 2004-12-19 17:58
| 贋治療批判
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